忘れられた誕生日:元日生まれの悲しさよ、5秒ルールで吹っ切れる?
新しい年がやってきました。昨日は日付が変わる前に撃沈したためおかげで新年早々熟睡ができました。1日睡眠時間8時間の眠活は、今年も引き続いての目標です。
1月1日生まれのさが
新年が明けたとともに私は誕生日を迎えました。西暦だけでなく自分にとって新たな一年となるこの日は特別な思いがあります。その思いは決して良いものでなくて落胆からくる嫉妬というか、どちらかといえばネガティブなものです。これは元日生まれだけでなくおそらく年末年始(12月30日から1月3日)生まれの人たちに共通することだと思うのですが、自分がこの世に誕生したということを世間のみならず家族からも忘れられる!という悲劇の日だからです。
簡単に忘れられる誕生日、忘れてしまう誕生日
今日、両親に新年のライン電話をした時に、夕食後ということもあり多少疲れていたのかかなりそっけなく、久しぶりに娘と話すのを喜ぶわけでもなく、明らかにTVを見ている感じで目線が合わず、お誕生日おめでとう、、、の言葉もありませんでした。新年早々「またこれかー」と、過去の両親、特に母親の「肝心なときの無関心」さに苛立ちを覚えて速攻ぶっきらぼうに電話を切ってやりました(笑)。大人気ないですね。もうアラフィフに突入なのに、なにやってるんでしょう。
私にも悪いところがあって、父親も誕生日なんですよね、1日が。でも自らおめでとうと言わなかった。まだまだ「両親から言ってもらって当然。両親から言うべきだ。」との思いがあるんだと思います。両親との軋轢って一生かかって解決していかない問題なんだろうな、と思います。5秒ルールを思い出し、切なさとやるせなさ、怒ってしまった自分の気持ちを噛み締めながら、彼等も「私の両親」というでかい看板を背負っているものの、祖父母の子供達でかつ一人の人間で、彼等にも彼等の都合がある、ってことを言い聞かせています。
電話後Yahoo Newsを読んでいて気づいたのは、ちょうど格付けスペシャルやってる時間帯だったことです。両親が毎年楽しみにしている番組だったので、私が電話するタイミングが悪かったのでしょう。と、こうやって自分に責任押し付けるのも子供らしく振舞う=親を頼ることよしとされなかった子供時代を送った私たちの性ですね。(これは元旦生まれと関係ありませんが。)
子供の頃から積もった恨みつらみを5秒ルールで吹っ切ってみせます。
両親だけでなく、周りの友達に普段お誕生日を聞かれて「元旦」と答えると決まって「おめでたい!」「覚えやすい!」と言われるのに、いざその日になると忘れられる、なんて、子供の頃から粛々と続いています。お正月に親戚一同集まっても友達と集まっても、「あけましておめでとう、お誕生日おめでとう」と、おめでとうの言葉だけでプレゼントをもらうこともないのに、なぜか友達にはプレゼントを贈らなければならないという理不尽さ。自分の誕生日に誕生日会を開けない悔しさ、ほかの友達は学期中に学校でみんなからお誕生日おめでとう!と言葉とギフトでお祝いされるのになんで私は、という妬み。。。お正月になって親戚一同集まっても友達と集まっても、「あけましておめでとう、お誕生日おめでとう」と、おめでとうの言葉だけでプレゼントをもらうこともないのに、なぜか友達にはプレゼントを贈らなければならないという理不尽さこんな陳腐でくだらない思いをなんとか5秒ルールで乗り切ろう、、、と思いつつも、年明け早々、恨みつらつらブログに書く始末。これ書いた後で、吹っ切ってみせます!
元旦から開いていたタイレストランで、せめてもの故郷を思い出すべくアジア料理をいただきました。
今日のボキャビル
New Year's Baby: 元旦生まれ
Jealous: (自分のものを失うことに対して)嫉妬している。
Envy: (自分が持っていないものを誰かが持っているので)羨ましい。妬ましい。
Indifference: 無関心
Unreasonable: 理不尽な
Have a grudge against ---: ---を恨む